イチローさんのものまね芸を始めて約15年のニッチローさん。超有名人とたまたま似ていたことから、自分の仕事はこれだと胸を張って芸に生きています。実際にイチローさんの兄や父に会う偶然も。かけがえのない時間だったそうです。(全3回中の3回) 【写真】「奇跡のコラボ!」ニッチローさんとイチロー実兄のツーショット ほか(全16枚)
■フォルムが大事「ランニングは欠かせません」 ── イチローさんのものまねで知られるニッチローさん。ものまねをする上でのこだわりといえば? ニッチローさん:顔の右側のほうが似ているので、カメラに映るときはなるべく右側をみせるようにしています。そして笑顔はなし。あと大切なのは目で、ちょっと力を入れて細めます。だから写真はいつも同じ顔で、右側の写真ばかりになっちゃうんです(笑)。
僕のものまねはいっさいしゃべりません。しゃべらないほうがおもしろいと思っていて。ものまねでしゃべったり歌ったりする人はたくさんいるけれど、みんなと同じことをしてもしょうがない。人と違うことをしたかった。自分なりにおもしろいことを考えるのが好きで、パフォーマンスの登場の仕方や音楽など、演出もすべて自分で考えています。もともと学生時代は演出家を目指していて、それがいまになって生きているのかなと思う部分はありますね。
── 体つきもイチローさんそっくりです。トレーニングなどはされているのでしょうか? ニッチローさん:朝は毎日走っています。今日も11キロくらい走ってきました。約1時間です。イチローさんはあまりゴツいタイプではないので、ガタイがよくなりすぎてもいけないし、細すぎてもいけない。体を整えるという意味でもランニングがちょうどよくて。ジムにも通っています。ものまねで走るネタはあるので、体はやっぱり動かしていたほうがいい。健康にもいいですしね。体が資本なので、何より健康でいることが大切。つい先日も人間ドックに行ってきました。自分的には「メディカルチェック」と、言ってるんですけど(笑)。
フォルムは最も重視しているところです。やっぱり全体の雰囲気で似ているのがいちばん。体つきでこだわっているのは、脚からお尻にかけてのライン。現役時代のイチローさんの脚はけっこうパツパツで、ユニフォームを着たときのラインを考えて、筋トレなどでお尻や脚を鍛えるようにしています。僕自身も年をどんどんとっていくので、いままで以上に体をちゃんと整えていかないといけない。そこは絶対に崩してはいけない。やっぱりイチローさんのものまねをするからには、文句は言わせたくない、という気持ちはあります。
■貫くイチロー愛「車のナンバーは51、起床は51分」 ── イチローさんが引退したときはやはりショックでしたか? ニッチローさん:信じられないという気持ちがありました。ただ、引退後に殿堂入りして、それが51歳だった。51は現役時代のナンバーで、さらに殿堂入りの日がイチローさんがよく食べていたカレーの日なんです。やっぱりイチローさん、持ってますよね。僕もイチローさんのナンバーにはいろいろあやかっています。
── たとえばどんなことを? ニッチローさん:僕がプロの芸人になろうと心を決めたのは、イチローさんが史上初の10年連続200安打を達成した2010年9月23日でした。実はこの日は偶然にも、僕の誕生日でもあって。ちなみに、うちの姉はイチローさんと同じ10月22日が誕生日なんです。しかも血液型も同じB型。だから、姉と誕生日を交換したいくらい(笑)。 長男が10月15日に生まれたので、イチローさんの誕生日の10月22日に届けを出しました。届けは出生の前後2週間までいいそうです。産まれるまでは、「もしかしたら、22日産まれになるのでは?」と思ったけれど、実際は1週間早かった。でも誕生日の「15」も、数字を逆にするとイチローさんの背番号「51」ですから。
イチローさんの名前から「朗」の一字をいただいて、長男と次男の名前に「朗」をつけています。長男はいま6歳。もう左打ちになっています。一緒に遊んでるときに「こうやって構えるんだよ」と教えて、左打ちにしました。次男は2歳10か月。イチローさんがテレビに映っていると、「あれ、パパがテレビに出てる」って、なってますね(笑)。 僕の個人事務所名はマリナーズならぬ「マネナーズ」。車のナンバーも51です。朝起きるときは「51分」にセットするようにしています。居酒屋やサウナなどロッカーでは必ず「51」を探します。空いていなければ、ニューヨークヤンキース時代の背番号の「31」。それもなければ、ニッチローだから「21」でもいい。どれもなければ、「イチ」ローさんの「1」番でもOKです。
■32歳で始めたものまね芸の道は幸せに満ちている ── 実際にイチローさんにお会いになったことは? ニッチローさん:一度もないんです。なので、ご本人からしたら完全非公認です。ただ、イチローさんのご家族とはお会いしています。お兄さんとは野球のイベントで最初に会って、何かのパーティーでまた会って、一緒に番組にも出ています。プライベートで一緒に食事に行ったり、自宅にお邪魔したときはカレーをごちそうになりました。お兄さん、イチローさんと似てますよね。それはもちろん僕以上です。やっぱり兄弟だなって感じます。
イチローさんの実家の隣に記念館があって、そこに行ったときに、たまたまお母さんにお会いしました。そこでイチローさんに似ていると言っていただきました。お兄さんの会社の周年パーティーに行ったとき、お父さんともお会いしています。お父さんは厳しい印象で、思考もそうですけど、やっぱりイチローさんと似てる。パーティーで、お兄さんに「経営者としてまだまだだ」なんてコメントを出していましたから。 ── これからもイチローさんの「ものまね1本」で?
ニッチローさん:もちろんです。僕は新しいネタはなくて、ひとつのネタをつねにやっています。でも、自分でも飽きないですね。いろいろな人のものまねをする人もいるけれど、僕はできない。そんな器用じゃないから。みなさんすごいなって思います。そこでは僕は絶対いちばんになれない。 でも、イチローさんのものまねに関しては、いちばんを目指したい。実際にほかにプロでものまねをやっている方はいないと思う。ものまねを始めた当初から、そういう意味でこれは世界一になれるな、という気持ちがありました。だからとりあえず1位。単独1位です(笑)。イチローさんといえば、日本人で知らない人はいない。そういう意味でもすごく際立った方ですし、いつまでもみなさんの記憶に残ってる。だから僕は本当にラッキーです。僕が寄せたわけじゃなくて、たまたま似ていたから、こうしてニッチローでいられる。似ていたことでここまでこれて、いまの人生がある。イチローさんと親には、本当に感謝しかありません。
… イチローさんだからものまね芸人として、本気で飽きずにとことん、ふだんのしぐさや野球のプレースタイルを追求したとニッチローさんは話します。アメリカではあやうく球場から退場させられる事態にも遭遇したニッチローさんですが、ものまね道は終わりがありません。 PROFILE ニッチローさん にっちろー。1978年9月23日生まれ、長野県飯田市出身。2011年『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)内『博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~』で準優勝。イチロー選手のものまね芸人として活躍し、テレビやイベント出演多数。
取材・文/小野寺悦子 写真提供/マネナーズ
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