11月中旬にスペイン・バルセロナで行われた最終戦ソリダリティGP(洪水被害のためバレンシアGPの代替開催)が終わり、ロードレース世界選手権はシーズンオフに入った。来季は2月にウインターテストが始まり、2月下旬に開幕、11月中旬にシーズンが終わる。 【この記事の写真】ノリック、大治郎、マルケスに小椋藍……伝説のライダーたちのプライベートなトレーニング走行写真などを見る この数十年を振り返れば、1990年代は、12戦から15戦のシリーズ戦だったが、2000年代に入ると着実に開催数は増え、この数年は20戦以上が定着し、来季は22戦を予定している。レースの開催数が増えたことで、選手たちはもちろん、マシンを開発するメーカーやチームにとってもシーズンオフが本当に短くなった。加えて、マシンの技術規則やスポーティングルールの改訂、さらにタイヤのワンメーク化などでプライベートテストは例外を除いて禁止となり、公式テストは大幅に減った。現在、オフのテストはわずか5日間だけであり、おのずと選手たちのトレーニング方法も大きく様変わりした。
オフはバイクに乗る暇がなかった昔のライダーたち
90年代から00年代にかけては、レース本番とテスト走行がライダーたちにとってはトレーニングの場であり、サーキットを離れてバイクに乗ってのトレーニングを実施しているライダーは少なかった。 そういう時代のライダーたちのトレーニングは、ウエイト、水泳、自転車などでフィジカルを鍛えるのが中心だったが、ノリックこと阿部典史は、そうしたトレーニングに加え、バイクに乗るトレーニングを積極的に行っていた数少ないライダーだった 自宅とは別にマンションの一室にトレーニングルームを借りてフィジカルトレーニングに励むだけでなく、時間があればトランポにモトクロス用バイクを積んで富士スピードウェイのモトクロス場へ向かう。マシンの燃料タンクを満タンにして空になるまで走り続けるというのが、ノリックの練習方法だった。 当時のモトクロスマシンは2ストロークが主流であり、ノリックが使っていたヤマハYZ250は満タンで1時間ほど走れた。これはかなりハードなトレーニングだが、2ストローク500ccマシン(後のMotoGPクラス)はスタートからゴールまで約45分間の競技であり、理にかなった練習法だった。 その他のライダーたちがどうかといえば、伊藤真一、岡田忠之、宇川徹、加藤大治郎と続いたホンダ勢や、原田哲也、中野真矢、芳賀紀行などのヤマハ勢は、マシンテスト、タイヤテストなどで一年中サーキットを走っていることが多かった。 当時は日数の制限がなかったプライベートテストが中心で、スペイン、ポルトガル、マレーシア、オーストラリアで盛んに行われ、シーズンオフだけでも20日前後実施されていた。メーカーのテストコースでの走行日も含めれば、サーキットを離れてバイクトレーニングをする時間はほとんどなく、フィジカルトレーニングが中心になるのは当然のことだった。
テスト走行が減っての変化
それが次第にサーキットでのテスト走行が減り、ライダーたちは、バイクに乗る機会を求め、モトクロスやダートトラックをするようになる。そういう時代の変化のなか、2010年4月に当時ナンバーワンライダーだったバレンティーノ・ロッシがモトクロストレーニングで右肩を負傷したことが大きなニュースになり、あらためてMotoGPライダーのトレーニングが話題を集めた。 その数年後、ロッシは生まれ育ったイタリア・タブーリアに総合的なオフロードの練習場を作り、さらに「VR46ライダーアカデミー」を創設。多くのグランプリライダーを育ててきた。ドゥカティで2年連続タイトルを獲得したフランチェスコ・バニャイアもそのひとりである。 スペインではマルクとアレックスのマルケス兄弟が、時間の許す限りバイクトレーニングに励み注目を集めている。市販ロードマシンでのサーキット走行、モタードにモトクロスと、スペインの一年中温暖な気候を活かし、圧倒的な量の練習を積んでいる。その目的はもちろん速くなるため。「バイクに乗って練習あるのみ」ということで、一緒に走る若手ライダーたちは世界チャンピオンから多くの刺激をもらっている。 しかし、こうしたトレーニングで怪我をするライダーは多く、マルク以外にも本番に影響が及んだ事例は多い。今季Moto2クラスで世界チャンピオンに輝いた小椋藍は23年のシーズン開幕前に左手首を脱臼骨折し、その怪我の影響でタイトル争いに加わることなくシーズンを終えた。だからといって、バイクに乗ってのトレーニングを止めようとはしなかった。 日本にいるときの小椋は時間が許す限り、子どものころから腕を磨いてきた埼玉県・桶川スポーツランドで走り込んでいる。1周約800mのこのサーキットで、250ccロードマシンや450ccのモタードマシンで常に全力全開をモットーとしている。数年前まで出場していた桶川スポーツランドのレースでは、出場したほぼ全クラスのレコードタイムを樹立。それはいまもレコードであり、練習走行ではタイム更新に全力を注いでる。
桶川でも最速を目指すわけ
小排気量のバイクで走る目的は「バイクに乗ってタイムを更新していく」ことにあり、そこから速く走るためのヒントが生まれる。タイトルを獲得したMoto2マシン、これから乗ることになるMotoGPマシンについては、1000ccの市販マシンでサーキット走行するときの方が「実戦的な練習になる」と語るが、そう毎日走れるわけではない。そのため小椋は日本にいるとき、朝起きて天気が良ければ桶川スポーツランドか近くのモトクロス場に行く生活を送っている。 そんな小椋を慕って多くの若いライダーたちが桶川スポーツランドに集まる。排気量の小さいバイクは体重の軽い子どもたちの方がスピードという点で圧倒的に有利だが、小椋はそれでも最速を目指す。なぜなら、最速の自分が若手たちの目標であることが「一番の指導方法だから」だと笑う。 ホンダ育成ライダーから卒業して今年は念願の世界タイトルを獲得した。来季は最高峰クラスのMotoGPクラスを戦う。「どんなトレーニングが必要なのかは、実際に走って行くことでわかってくると思う」という小椋だが、果たして今後どんなレースを見せてくれるのか。そして、どんな成長を見せてくれるのか楽しみである。
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