マサカリ投法で知られる元ロッテ投手の村田兆治さんが亡くなって2年余りが経とうとしている。 【衝撃写真】「エッ!66歳でこのフォーム!?」還暦過ぎても健在な村田兆治の“マサカリ投法”…殺気漂う現役時代&東尾修らと“豪快に笑い合う”姿から、星野仙一との“居酒屋歓談シーン”まで一気に見る 日刊スポーツの記者として村田さんを現役時代から取材、引退後もライフワークとしていた「離島甲子園(正式名称・国土交通大臣杯・全国離島交流中学生野球大会)」のサポートなどで深い絆を築いていた元佐渡市長の三浦基裕さん書き下ろしの『村田兆治という生き方 マサカリ投法、永遠なれ』(三浦基裕著/ベースボール・マガジン社)が12月4日に発売された。
村田兆治「死の真相」を真っ向から否定
2022年11月11日、東京・世田谷区の自宅からの出火による一酸化炭素中毒で村田さんは亡くなった。その死の約2カ月前の9月23日、村田さんは羽田空港の保安検査場で、女性係官に暴行を振るったとして逮捕されるという“事件”を起こしている。ショッキングな死もそうだったが、この2つの衝撃的な出来事を結び合わせ“自殺説”や“痴呆説”など根拠のない話が、まことしやかにネットを賑わせたが、三浦さんはそうした無責任な「死の真相」を本書で真っ向から否定する。 羽田空港での事件は安倍晋三元総理の国葬を4日後に控えた、厳重警備の中で起こったことだった。 保釈直後に三浦さんに直接かかってきた電話で、村田さんは自分としては暴力行為を働いたつもりはまったくないと語っていた。しかし最後は「今となってはとにかくあの女性検査員さんに心から謝るしかないし、そのように受け取られたこと自体、俺の落ち度なんだから反省するしかない」と謝罪の言葉も口にしていたという。そして何より「離島甲子園」に参加してきた子供たちを失望させたことへの悔恨を語り「空港で逮捕されたことで俺を信じられなくなった子がいるかもしれない。どんなに時間がかかっても交流を続けて全国の子供たちの信頼を取り戻していく」と語った。そして「改めて村田兆治という男を信じてもらうために、やれることは何でもするつもりでいる」と今まで以上に「離島甲子園」に全力で取り組む決意を語っていたのだという。 不器用で愚直。三浦さんは「村田兆治という生き方」をこう語る。 その不器用さ故に、愚直さ故に、内に秘める本当の思いがなかなか伝わりにくい。羽田空港での“事件”も、そんな村田さんの不器用さによるトラブルだったのかもしれない。その上で直接、村田さんの思いを聞いた三浦さんが主張するのは「人は誰でも人生というマウンドに立っている。簡単に降板することはできない」という人生哲学を持っていた村田さんが自殺をする訳がないということだった。ましてや“痴呆”などということは気配もなかった、と電話口から伝わってきたその声、話の内容から完全否定するのである。
最初に心を開いたのは村田ではなく落合
三浦さんが村田さんと知り合ったのは、日刊スポーツのロッテ担当記者となった1986年のことだった。 その頃のロッテは万年Bクラスの弱小チーム。そこで三浦さんが目をつけたのが前年にカムバック賞を獲得した村田兆治投手と2度目の三冠王を獲得した落合博満内野手だった。 グラウンドではとにかく2人の動きを徹底的に観察し、気づいた小さな変化や疑問を直接、本人にぶつける。そんな繰り返しの内に、2人は次第に三浦さんに心を開き、本音を話してくれるようになっていった。 最初に心を開いてくれたのは、実は村田さんではなく落合さんだったという。 《キャンプインから1週間ほど経ったころだった。ホテルの自室で原稿を書いていると突然、ノックの音がした。誰だろう? と思いながらドアを開けると、そこに立っていたのは夕食を終えたばかりの落合だった》 落合さんは部屋に入ってくると、仕事中の三浦さんを横目に、東京から送られてきた1日遅れのスポーツ各紙を読み耽った。まだインターネットもない時代で、それが数少ないキャンプ地での情報源だったのである。 翌日も、その翌日も落合さんは部屋にやってきて、時には三浦さんが食事に出かけても、部屋に居座って新聞を読み漁ることもあった。
落合からのメモ「明日までに答えを考えておけ」
そんなある日、部屋に戻った三浦さんに落合さんからある“お土産”が残されていた。 《原稿用紙の裏面に描かれたイラストが置かれ「この図が何を意味しているか、明日までに答えを考えておけ」とのメモが残されていた》 イラストはマウンドのプレートの横から線、点線、破線がそれぞれ緩やかな曲線を描いてホームプレートの右角と左角ギリギリを横切る図だった。翌日、部屋にやってきた落合さんに三浦さんが自分なりの答えを言うと「まあ50点かな」と言ってこんな説明をしてくれた。イラストは上手投げ、横手投げ、下手投げの投手が内角と外角のギリギリを狙った時のボールの軌道だという。それぞれにできる三角ゾーンをイメージして、落合さんはストライクとボールを見極めて打つのだという。 《これまで「点ではなく線で打て」といった打撃理論は何度も耳にしたが、「ゾーンで打つ」と解いたのは落合が初めてだった》 落合さんと親しい記者、食い込んでいる記者は何人かいる。ただその多くは落合さん本人というよりは、信子夫人の信頼を得ることで、落合さんが話をするようになった記者がほとんどだった。落合さん本人が信頼して、自分から心を開いた記者は、筆者の知る限りではたった2人しかいない。そのうちの1人が実は三浦さんなのである。 そうして次には村田さんも、向こうから声をかけてくれるようになった。 シーズン中のとあるとき、三浦さんは村田さんから、投球練習で打席に立ってくれるように依頼される。 《「三浦、悪いが打席に立ってくれるか?」予想だにしない依頼だったが、こんなチャンスはめったにあるものではない。「ありがとうございます。立たせてもらいます」と言って、右バッターボックスに立った。兆治さんは、「ストレート」と球種をキャッチャーに伝えると、両腕を大きく振りかぶり、グッと沈み込んで右腕を真っ向振り下ろすマサカリ投法で投げ込んできた。快速球が空気を裂く音がしてキャッチャーミットに吸い込まれた。その迫力は、ネット裏から見るそれとはまったくの別ものだった》
先駆者的な村田の「手術の決断」
82年に発症した肘の靱帯の断裂は、当初は原因不明と言われ、あらゆる治療法を試みたが一向に良くなる気配はなかったという。 《焼酎を患部に塗り込んで行うマッサージやマムシの毒を使う治療法もあったが、何の効果も見られなかった。焦る気持ちを鎮めるために、和歌山県白浜町のお水場・十九渕で坐禅を組み、深夜に白衣をまとって滝に打たれたこともあった。何か苦境を脱するヒントになるものがあるかもしれないと思い立ち、宮本武蔵の『五輪書』を貪るように読んだこともあった》 藁にもすがる気持ちで渡米し、フランク・ジョーブ博士の手で「トミー・ジョン手術」を受けたのが83年だった。まだ現在のように「トミー・ジョン手術」が一般的ではなく、肘にメスを入れることに抵抗があった時代だ。それでも村田さんの決断が、のちの同手術によるマウンド復帰の先駆者的な役割を果たすことになった。 85年に見事に“サンデー兆治”として復活を果たした村田さんは、89年5月13日の日本ハム戦で通算200勝を達成。この年はわずか7勝にもかかわらず、シーズン通算で22試合に先発して16完投(3完封)、防御率2.50で3度目の最優秀防御率のタイトルに輝くなど、手術から復帰後、最も投球内容の良かったシーズンでもあった。
還暦を過ぎてもマサカリ投法で140km超え
現役時代に厚い信頼関係を築いた結果、引退後も三浦さんは村田さんがライフワークとしていた「離島甲子園」のサポート役として関係を深めていくことになる。 村田さんといえば、マサカリ投法で還暦を過ぎてもなお140kmを超えるストレートを投げ込む姿が野球ファンの記憶には深く刻まれているはずだ。 「離島甲子園」と共に、引退後は講演会や野球教室で全国を飛び回っていたが、野球教室の最後には必ずマサカリ投法の実演で集まった人々の感嘆の声を集めるのがお決まりだった。そのために村田さんは球場入りすると入念にウォーミングアップとキャッチボールを行い、最後はバックネット前から右翼ポール際まで約90メートルの遠投もこなしていた。現役を引退して20年以上が経っても、両足を広げて座ると胸がべったりと地面につく身体の柔らかさを維持して、体重も現役時代と同じ78kgをキープしていた。 厳しい自己管理があったからこそ、60歳を過ぎてもなお、あのダイナミックな投法で、あの球速を維持できていたのである。決してスマートではない。それでもそんな不器用で愚直な物事への取り組みは、グラウンド上だけでなく、ライフワークの「離島甲子園」を全国規模の大きな大会へと育てることにつながっていく。
志半ばでの非業の死
「離島甲子園」からは現在3人のプロ野球選手が誕生している。 その1人目が三浦さんの出身高校の佐渡高校から桐蔭横浜大を経て巨人入りした菊地大稀投手だった。 三浦さんの後輩のプロ入りを村田さんはすごく喜んでくれた。 「環境に恵まれない島の子でも、頑張っていれば夢が現実になるんだよ。これからもプロが誕生するのが楽しみだよ」 22年に佐渡で開催された「離島甲子園」の全国大会で、村田さんは三浦さんにこう語って目を輝かせたという。もっともっと全国の島からプロ野球選手を誕生させる。それが村田さんの「人生というマウンド」での決意だったはずだ。 志半ばでの非業の死。この本からは村田さんのそんな無念な思いが、確かに伝わってくる。
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