SNSやブログで「週末北欧部」として人気のchikaさんは北欧の国・フィンランドが好きすぎて本当に移住してしまった元会社員。移住までは紆余曲折ありつつも、会社員をしながら寿司職人の修業に励み、13年ごしの夢をかなえたのでした。 ところがフィンランドで無事に寿司シェフデビューを果たしたものの、勤務先がオープン1年でまさかの倒産。失業し現地の職業安定所で相談する中で、再び自分の人生や大切にしたいことを見つめ直していきます。 【漫画】chikaさんの漫画「北欧こじらせ日記 フィンランド起業編」
大切なのは「どこで生きるか」ではなく「どう生きるか」だと、フィンランドの人たちから教わった、というchikaさん。フィンランドで個人事業主のビザを取得し、今も現地で執筆や情報発信を手掛けています。 そんなchikaさんが考えるキャリアとは? chikaさんの新著『北欧こじらせ日記 フィンランド起業編』より一部を抜粋、再編集しお届けします。 ■期日と傾斜を決めること 「目標を決めるとき、大事なのは“いつまでに・どこまで”という期日と基準も一緒に決めることだ。基準を決められる人は多いけれど、期日を決め忘れる人が案外多いんだよ」
会社員時代に中国・広州に赴任したころ、3カ月目の面談で上司が言った言葉だった。 私は飽き性で、同じことを長く続けるのが苦手だ。学生時代はバイトも部活も長くは続かず、最初は良くても最後は尻すぼみ。そんな「やり切れない」自分のことを、ずっとコンプレックスに感じたまま社会人になった。 けれど働く中で「私に足りなかったのは“いつまでに”という期日」だったことに気づいた。終わる日が来るのかどうかもわからずに走り続けているとき、私は出口のないトンネルの中にいるような閉塞感を感じる。
たとえば始めること自体がゴールになっていたり、いつまでに・どこまでというゴールがないまま漠然と続けるうちに興味を失ってしまったり、もしくは大きすぎる目標に短期間で辿り着こうとスタートダッシュしてしんどくなってしまったり……。そんな状態の中で続ける終わりのないマラソンは辛い。 けれどそれは「いつまで」というゴールを〝自分で〞決めていなかったからでもあった。「終わりがある」ことは、希望だ。 まるで遠く先に光るトンネルの出口の明かりのように、走り続けるための希望になる。「自分で期日を決めれば、ちゃんとゴールテープを切ることができる」そんな風に希望を自分で作る私に、もうひとつ大事なことを上司が教えてくれた。
「チカは、どんな角度で成果を出そうとしているの? Aプラン? Bプラン?」そう問いかけながら上司が書いたのは、2つのグラフ。 その時の私は、悩まず「Aプランです」と答えた。1年間という限られた赴任期間で、早く成果を出さなきゃ……と思っていたからだ。 けれど上司が言ったのは「僕はね、Bプランを期待しているんだ」という意外な言葉だった。「最初から成果が出るなんて思っていないし、それが出るのは後半でいい。それに、通常人の成長はBの曲線を描くもの。だから、そんなに焦らなくてもいいんだよ」。
期日は大切だ。けれど同時に、その長さによって自分にかかる負荷が変わることも覚えておかなければならない。 鋭い角度で到達すれば、頑張る期間は少なくて済むけれど、その分負荷は高くなる。人の成長は、多くの場合「緩やかな曲線の先」に訪れる。 せっかちで、急な傾斜を登ってしまいがちな私。短期間で成果が出ない時に「もうダメだ」と落ち込みすぎず、その先に来るカーブを信じて進み続けることも同時に大切にしなければと思う。
■悲しみを「底打ちさせる」 一人で働き始めてから、会社員時代に学んだことに助けられる日が多くある。その中のひとつが「レジリエンス」で、この教えなしには乗り越えられない時期が幾度もあった。ストレングスが個人の持つ強みやスキルであるのに対し、レジリエンスは困難や失敗から立ち直る「回復力や適応力」を指す。 「ストレスフルな場面に対応するとき、ストレングスを発揮するだけでなく、実はレジリエンスに着目して鍛えることも同じくらい大切なんです」と、人事の先輩が教えてくれた。
そこで教わったのが「底打ちさせる」という概念だった。 人は困難な状況や逆境に直面したとき、ストレスや絶望感で一時的に最悪の状態“底”に達する。モチベーションやエネルギーは低下し、まるで暗い深海へ沈んだような気持ちになる。 けれど、海にも必ず「底」があるように、あらゆる負の感情にも必ず「底」という終わりがある。最も暗いその場所で、確かに自分の足が底を感じた「底打ち」の瞬間は、同時に最悪の状態からの回復プロセスが始まる瞬間でもある。
「自分は“底”に到達した」。 その自覚を持てるかどうかが、とても大事なのだと先輩は言った。自分が底に達していることを認識できず、必要以上に長い間ストレスや絶望感を抱え続けることがあるためだ。 そんな教えが「ああ、私は今は底に到達したな。これ以上沈んでも先はない。十分沈んだし、ゆっくりと海面を目指そう。 力を入れずとも身体が水に浮かぶように、回復を努力するのではなく、ただ力を抜いて浮上しよう」という風に、「悩みを底打ちさせる」というレジリエンスを与えてくれた。
落ち込まないことは不可能で、落ち込まないようにすることも逆効果だ。それよりも心に沿ってちゃんと落ち込み、最悪の底まで到達し、地面を感じたら浮上する。いつまでも底で沈み続けることなく、「底打ちさせる」というプロセスの意識を持つことが、私が幾度も救われたレジリエンスだった。 ■「底打ちの森」と「悲しみの置きバー」 頼れる人が少ない場所で生きる時、レジリエンスは大きな味方になってくれた。 ある日森を歩いている最中「また同じことを思い出して落ち込んでいるけれど、私はもう底に到達しているよな」と自覚して、「これ以上下がることはない。周りに助言を求めながら、ここからは回復を目指そう」と決めた。
そしてその森を「底打ちの森」と名付け、「これ以上また悩みたいなら、この森に来て悩みましょう!」と自分にルールを課した。 底打ちした後も、悩みが思考を乗っ取る日もあるけれど、幸いその森はヘルシンキから数百キロも離れた旅先の森。 ヘルシンキの自宅で再び悩みそうになった時には「じゃあ……今からその森まで行きますか?」と自分に問い、面倒臭さが勝って思考を断念する……という繰り返しを経て、今ではその悩みを思い出したとしても、当時のように心が痛むこともなくなった。
また、レストランで働いていたときは、感情的な疲れを伴う日もあった。そんな疲れた日には、決まって家に帰る前にヘルシンキ駅近くの深夜まで営業しているバーへ寄り道した。 私はそのバーを「悲しみの置きバー」と名付け、軽いストレスであればビールを1杯飲む間に底打ちさせて、自宅には感情を持ち帰らないよう心がけていた。 ■とりあえず「3年」
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